大判例

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大阪地方裁判所 昭和36年(わ)2408号 判決 1963年10月14日

主文

被告人両名を各懲役一年六月に処する。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人中村茂雄、同池上一盛は、ともに堺市の公共職業安定所において日雇労務者として登録して就労していたことから知り合いとなつていたところ、昭和二七年八月一三、四日の両日に互り、被告人中村の住居等において、森崎または篠崎こと羽広麗一、中村某、朝鮮人某とともに、同人らのいう八・一五反戦解放記念日の堺における行事として、吹田事件の捜査を担当していた堺市在住の大阪地方検察庁公安部検事斎藤欣平方住居に、いわゆるラムネ弾を投げ込んで爆発させ、以後同人が検事の職務を遂行するにおいては、同人およびその家族の生命、身体又は財産にいかなる危害が加えられるかもわからぬ旨の害悪を告知して、同人ならびにその家人を脅迫しようと順次共謀し、同月一四日午後九時ごろ、被告人両名と右中井某、朝鮮人某において、それぞれカーバイドを入れたラムネ瓶と水を入れたガラス瓶各一個づづを携えて、同市南田出井町四丁八九番地斉藤欣平方西側空地に赴き、被告人中村の号令で、それぞれ所携の右ラムネ瓶に水を注入し、瓶口を下にして二、三回振つた上、各人一個づづ計四個のラムネ弾を斉藤欣平方住居の裏庭に向かつて投げ込み、間もなく同所においてうち二個を炸裂させ、もつて右四名共同して斉藤欣平方家人を脅迫し、

第二、被告人池上一盛は、昭和二三年一一月ごろ、友人富永哲夫と共同使用の目的で、鹿児島県川辺郡知覧町郡字九日田一三六番地上に木造平木葺二階建工場兼居宅一棟、建坪一八坪、外二階四坪五合を新築し、均等の持分をもつて共有し、自己においてこれを保管中、負債の支払に窮し、昭和二五年一〇月下旬ごろ、当時居住していた同郡川辺町田部田駅前大園サカエ方において、右富永に断りなく、今辻清に対し、右建物売却のあつ旋方を依し、同年一一月上旬ごろ、同人のあつ旋のもとに、同郡知覧町郡五、一八六番地の同人方において、ほしいままに右建物を南薩鉄道株式会社に対し金三〇、〇〇〇円で売却し、もつて横領したものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用および量刑理由)

被告人両名の判示第一の所為は、いずれも暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項(刑法第二二二条第一項)、罰金等臨時措置法第三条第一項第二号に、被告人池上一盛の判示第二の所為は、刑法第二五二条第一項にそれぞれ該当するが、判示第一の罪についてはそれぞれ懲役刑を選択し、被告人中村茂雄に対してはその所定刑期の範囲内で、被告人池上一盛の判示第一、第二の罪は、刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文、第一〇条により重い横領の罪の刑に法定の加重をなした刑期の範囲内で、それぞれ処断量刑すべきところ、判示第一の罪は終戦のため、いまだ物的にも精神的にも著しく混乱していたときにおいて、その治安を維持するため誠実に執務していた検察官に対し、その正当な職務を以後遂行するにおいては、その生命身体にいかなる危害が及ぶやも知れぬ旨の害悪を告知する目的で、裏庭とは言え大音響を発して炸裂するラムネ弾を投げ込み、被害者たる斉藤欣平のみならず社会一般に動揺を与えたことについては、被告人両名の責任は重大なものといわなければならないが、飜つて考えてみると、本件による実害は軽微であり、その後一一年の歳月の経過によつて社会情勢が一変していること、被告人両名の差戻前第一審裁判所における供述記載と当公判廷における供述態度とを対比してみると、被告人両名が本件について一応反省していることが窺えるので、これらの諸点を考慮し、なお本件犯行に際しての役割の軽重、被告人池上には横領の事実もあることを併せ考え、被告人両名を各懲役一年六月に処することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項但書によりこれを被告人らに負担させないこととする。

(爆発物取締罰則違反などの訴因に対する判断)

検察官は、本件公訴事実中、被告人両名らが斉藤欣平方家屋内に本件ラムネ弾を投入した行為は爆発物取締罰則第一条に該当すると主張している。

そこで考えてみるのに、同条はいわゆる目的罪であつて、同条違反の罪が成立するためには爆発物を使用したことの外に、治安を妨げ又は人の身体財産を害せんとする目的の存在が要件とされているのである。ところで、被告人らが使用した本件のラムネ弾が同条にいわゆる爆発物に該当することは、本件につき昭和三六年五月一六日になされた最高裁判所第三小法廷の判決においてすでに判断の示されているところであつて、当裁判所は右の判断に従うことになるが、同条所定の前記目的の存否についてはまだ判断が示されていないので、以下その点につき考えてみることにする。しかして、同条所定の目的のうち、「治安ヲ妨ケ」るとの目的については、検察官においても、これを訴因中に掲記せず且、主張もしないところであり、また、取調済の証拠によつても、これを認めるに由ないことが明らかであるから、もつぱら爾余の目的すなわち「人ノ身体財産ヲ害セントスル」の目的が存したか否かについて考察を加えることにする。

前記認定のとおり、被告人らは斉藤欣平方裏庭にラムネ弾四個を投入しているのであるが、いやしくもかかる破壊力を有する爆発物を使用している以上、その目的が人の身体財産を害せんとするにあつたか否かを判別するに当つては、右使用が通常かかる結果を招来するに足ると考えられる状況のもとになされたか否かについて考えてみなければならない。そして、そのためには、先ず本件ラムネ弾の威力ならびにこれに関する被告人らの認識程度および投げ込まれた場所の状況等を考えてみる必要がある。

≪証拠省略≫を綜合すると、本件ラムネ弾は、いずれも通常のラムネ瓶中にカーバイドを詰めたものであつて、これに水を数十瓦注入し、瓶を傾斜または倒立させるなどの操作によりラムネ球によつて瓶口を密栓し、密閉された瓶内においてカーバイドと水の反応により急激多量にアセチレンガスを発生せしめ、ガス圧力の急激なる増大により瓶を破壊しその破片を飛散させる装置ないし構造を有しているものであることが認められる。すなわち、ラムネ弾が人の身体財産を害するに足る破壊力を有するとされているその主たる由縁のものは、そのラムネ瓶の破片を飛散させる点にあると考えられ、その爆発威力は、瓶破片の飛散の状況およびその力によつて測定さるべきものである。そして、右爆発威力は、ラムネ瓶の強度、カーバイドの容量およびその質、加えられる水の量その他の条件により必ずしも整一ではないけれども、前記鑑定書の記載などによると、ほぼ本件と同様と考えられる二〇瓦ないし三〇瓦のカーバイドに水約五〇立方糎を加えて実験した結果は、爆発により周囲の研究室で実験中の研究者を驚かす程度の爆発音を発するとともに、最小微細な微粉から最大約四糎×五糎角の多く鋭い破砕面をもつ破片を生じ、その数は最小一瓦までのものを数えて約六〇ないし八〇個に及ぶこと、それら硝子の細片が立体的放射状に飛散し、その範囲は一五ないし二〇米位に達し、比較的大きな破片が遠くに飛ぶが、その量は少くまた力も弱く、窓硝子に当つて辛うじてこれを割り、また人体にかすり傷を負わせる程度のものと推察され、大部分は数米の範囲内に落下し、その範囲内での力は、ドラム罐内で実験した場合、それに損傷を与える程ではないが、罐内に立てかけてあつた杉板に深く鋭い傷跡を与え、また一米距離で厚さ三〇番のトタン板に約一糎の裂け穴を生じさせたことがあるなど、近接物件に対しては相当強度の損傷を与える威力をもつものと認められる。そして、司法警察職員作成の実況見分調書によつて本件ラムネ弾破裂の実状をみても(同実況見分調書はムラネ瓶の破片の飛散状況について必ずしも正確に記録されているものとは認めがたく、添付の見取図および写真を綜合して推測しうる程度である)、本件では二個のラムネ弾が爆発しているのであるが、前記斉藤欣平方裏庭ほぼ中央やや西寄りの地点直径約四米(正確に計測されていないので見取図によつておよそのところを算出する外ない)の範囲内に大部分の破片が散乱し、爆発中心点と推定される地点から約三米(前同様見取図によつて算出)はなれたところにある斉藤方裏庭に面した廊下の硝子戸には何らの損傷を与えず(ピンポン台にさえぎられて破片がガラス戸の方に飛ばなかつたと考えられなくもないが、実況見分調書にはピンポン台に破片が当つた痕跡がある旨の記載はない)、同中心点から八・五米はなれた同家東側板塀附近に数個の破片が、また同地点から約六米(前同様見取図によつて算出)はなれた同家南側板塀の裏約六〇糎のところにある隣家平崎忠男方炊事場の硝子を損傷しているところより、同地点に少くとも一個の破片が飛んだと認められるに過ぎなく、これら破片の飛散状況は前記実験の結果とほぼ符合しているがその力ははるかに弱かつたとみるべきである。そこで、これらを綜合して本件ラムネ弾の爆発威力を要約整理してみると、その危険範囲が一応半径一五ないし二〇米に及ぶといいえても、常に必ずその範囲内にある人または物を傷害、損傷しうるわけではなく、たまたま破片が飛散し、しかもその方向に人または物があつた場合にこれを害しうるに過ぎないものであつて、むしろその威力は、通常ごく近接した地点において発揮されるものと認むべきである。従つて、人の身体財産を害せんとする目的をもつてラムネ弾を使用する場合には、目標物件に向つて投げるか、或は、その至近距離でこれを爆発させねばその効なきものというべきである。

ところで、本件ラムネ弾を使用した被告人において、その威力をいかなる程度のものとして認識していたかの点に関しては、被告人らの供述をみても、必ずしも正確に認識していたものとは認めがたく、たかだか常識的に、瓶が破裂して手元に長く持つておれば危険だという程度で、ごく至近距離を危険範囲と考えていたものと認められ、これはラムネ弾の通常の威力として前に認定したところとほぼ一致するところである。

しかして、被告人らは、右のような威力を有するラムネ弾を合計四個前記斉藤欣平方裏庭に投げ込んでいるのであるが、司法警察職員作成の実況見分調書によると、右裏庭は、被告人らがラムネ弾を投げ込んだ方向(西)から見て、巾五米、奥行一五米の広さで、東、西、南の三方が板塀に囲まれ、北側は東西両端に空地を残して邱内やや西寄りに建てられた斉藤方家屋(庭に面して廊下がある)および右空地に接し、南側板塀寄りに草花が植えられ、北側家屋に接してピンポン台(二台)が置かれている外何もない土面であることが認められる。即ち被告人等の投げた場所から斉藤方家屋内にラムネ弾を投げ込むことは容易になし得る状況にあり、更に当時斉藤方表玄関は開いたままの状態にあつたのであるから―被告人等はその前を通つて屋内を窺つてから裏手に廻つている―そこから屋内に投込むことも容易な状況にあつたと解せられる。そして、被告人らの投げたラムネ弾の内二個は裏庭中央部やや西寄りの地点で爆発していること右にみたとおりであるが、不発に終つた内一個は南側板塀の中心部やや東寄りの板塀より一米二〇糎はなれた地点に落下していることが認められる。すなわち、これによつてみてみると、多少の手許のくるいや、不発弾が接地後転がる可能性等を考慮してみても、被告人らはそのラムネ弾を斉藤方家屋内に投げ込もうとしたのではなく、裏庭に向つて投げ込んでいることが推認しうる。このように、被告人らは、さまで広いとはいえないまでも、三方が板塀に囲まれ、その間に損傷すべき何ものもない裏庭すなわち空地に向つてラムネ弾を投げ込んでいるのであるから、前述したラムネ弾の威力に照し考え、通常、人の身体財産を害しうるような状況でこれを使用したものではなく、また前述した被告人らの爆発威力に関する認識内容から考え、人の身体財産を害するに至るとの認識予見をもつてしたものとも認めがたい状況にある。

尤も被告人等の検察官及び司法警察職員に対する供述調書中には、被告人等は本件行為により斉藤方家人の身体財産を害するかも知れないことはわかつていた旨の記載が散見せられるが、これ等調書の記載もその前後の記載を併せ読めば、被告人等の意図は斉藤方家人を脅す目的で裏庭に投込んだとの趣旨に帰するのであり、結局右の未必的認識の点は取調官の理詰の質問に負けた結果に過ぎないものと解するのが相当であり、前記説明に徴しても、被告人等の真意を述べたものとは認め難い。

又、被告人両名は当公判廷において、本件の動機ないし目的として、「八月一五日の敗戦記念日にちなんで、当時大阪地方検察庁の公安部主任検察官として、いわゆる吹田事件に関係していた斉藤欣平に対し、天誅を加えるというような意味で、おどかしか、或はいやがらせをやろうということになり、計画の過程において、火焔瓶を使用しようという話も出たが、火災になる危険があるのでこれを中止し、当時、瓶は破裂するがその威力は大したことはなく、ただ自動車のタイヤがパンクした時のような大きな音が出る程度と聞いていたラムネ弾を使用することとし、しかも、おどかしのためなので、玄関や家の中に投げ込むことを避け、こと更に裏庭を選んだのである。その際、斉藤方の家人を傷つけ、或は、物件を損壊するかも知れぬということは考えもしなかつた」と述べており、これを前述したところと対比して考察してみると、被告人らの右供述にはにわかに排斥しがたいものがある。従つて結局、本件は判示第一に認定のとおり斉藤方家人を脅迫するためになされたもので、その身体財産を害せんとする目的はなかつたと認めるのが相当である。

よつて、本件爆発物取締罰則違反の事実については、その要件たる目的の存在について証明がなかつたことに帰するが、右は判示第一の罪と一所為数法の関係があるとして起訴されたもので一罪の一部であるから、主文において特に無罪の言渡はしない。

なお、検察官は、被告人らがラムネ弾を爆発させたことにより、斉藤欣平方南隣の平崎忠夫方窓ガラスを損壊した所為を判示第一の事実の訴因中に掲記しているが、すでに右にみたところにより明らかなように、ラムネ弾を爆発させたのは、もつぱら脅迫の意思でなされており、物件損壊の意思はなかつたものと認められるので、この点についても犯意の証明がなかつたということになるが、右は判示第一の罪の一部として起訴されたものであるから、同様主文において無罪の言渡はしない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中勇雄 裁判官 権藤義臣 岡次郎)

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